(一) はじめに
司法制度改革審議会は、2001年6月「司法制度改革審議会意見書一21世 紀の日本を支える司法制度」(以下「意見書」という)を政府に提出し、
これを受けて政府は国会に司法制度改革推進法案を提出しました。同法 案は同年11月9日成立し、合わせて国民の意見反映や情報公開、人権擁護、
裁判所等の人的・物的態勢の充実を求める附帯決議も採択されました。
この意見書は、21世紀の司法制度改革の方向性を考える上で重要な意義をもつものであり、その中で、家庭裁判所・簡易裁判所の機能の充実が
提起され、(1)簡易裁判所の事物管轄については、経済指標の動向等を考 慮し、訴額の上限を引き上げるとともに、(2)少額訴訟手続の訴額の上限
を大幅に引き上げるべきであるということが示されています。
私たち全司法労働組合は、裁判所の実務を担う職員の立場から、意見書のもつ「民主的司法」実現のための積極的な改革の方向性については支持
をするものです。しかしながら、今回の簡易裁判所の事物管轄および少額 訴訟手続の訴額の上限を大幅に引き上げる提案は、現在の簡易裁判所の実
務からの要請というよりも、むしろ地方裁判所の「専門裁判所への特化」 と「迅速」処理の視点からすすめられ、また、「軽微な事件を簡易迅速に
解決することを目的とし、国民により身近な簡易裁判所の特質を十分に活 か」すという改革の理念と相反する部分も生じてしまうのではないかとい
う懸念を抱かざるを得ないのも事実です。
簡易裁判所のそもそもの設立理念は、「市民の、市民による、市民のための裁判所」にあると私たちは考えます。裁判所を利用する市民の立場を
ふまえつつ、簡易裁判所の事物管轄および少額訴訟手続きの訴額の上限大 幅引き上げが、これまでの簡易裁判所の理念および機能、諸手続(支払督
促・調停・少額訴訟手続き等)の利点を形骸化させることなく、むしろ、 より充実させる方向でなければならないと考えています。また、事物管轄
および少額訴訟手続きの訴額の引き上げがなされるとすれば、それにとも なって、簡裁での裁判等を支える裁判所書記官や裁判所事務官等の簡易裁
判所職員の大幅な増員、庁舎施設の充実・整備は不可欠であり、研修制度 を充実させることも重要です。これらが合わせて検討されることが必要で
あり、事物管轄引き上げ等の前提であることが認識される必要があります。
私たちは、裁判所書記官をはじめとする裁判所の実務を担う職員の意見を集約して、以下の政策の提言と要求を行うものです。これらが国民のため
の民主的司法制度の一助となれば幸いです。
(二) 市民間の紛争を解決する「民衆裁判所」再生のためのプログラム
(全司法の政策と要求)
1 事物管轄の上限の引き上げについて
(1)上記前提に立ち簡易裁判所を事物管轄とすべき訴額の基準を検討す
る場合、簡易裁判所本来の使命である、(1)「軽微な事件を」、(2)「簡易迅速に解決する」ことを目的とし、(3)国民により身近な存在として設置されている簡易裁判所の設立趣旨を十分にふまえ、どの程度の訴額の引
き上げが妥当であるかを検討することが必要となります。
この点、(1)「軽微な事件」といえるかどうかについては、一般に、訴額 が高くなれば高くなるほど、争いの度合い(争訟性)が複雑・困難なもの
になるといえます。そうした意味から、事物管轄変更のための訴額引き上 げについては、金額的な上限を設けることには一定の合理性があり、妥当な線を模索すべきであると考えます。
しかしながら、(2)「簡易迅速に解決する」とするためには、事件そのものの性質や争いの度合い、態様等を総合的に考えなければなりません。簡
易裁判所の職場で現実に働く書記官や事務官からは、必ずしも訴額の多寡 によって、簡易裁判所で行うべき事件か否かを論ずるべきでないとの意見
に接することが多くあります。簡易裁判所においては、簡易迅速な訴訟進 行が地方裁判所等と比較して、より一層求められているのであり、それら
の阻害要因となるのは、単に訴額がいくらであるかという問題ではなく、 事件が複雑・困難か否かという問題であるからです。
(2)訴額について金額的に妥当な線を考えるという問題とともに、簡易裁判所で解決するのにふさわしいかどうかということが問題となることを
前提に、今回の事物管轄の引き上げの問題を考えることも大切です。現行制度では、不動産を目的とする訴訟については、訴額算定の基準となる固
定資産評価額が時価と相当隔っているため、不動産の実質的な価額が相当 高額であり、内容的にも複雑となっている場合が多くあります。
この種の事件は、審理期間の長期化、弁護士の高い関与率、事案の複雑性などの点において、簡易裁判所の審理になじまないものと思われます。
将来、立法措置により、不動産を目的とする訴訟は地方裁判所の管轄とす ることが望ましいと考えます。現行の制度のもとにおいても、訴額にかか
わらず地方裁判所に申し立てる運用や、簡易裁判所から地方裁判所に移送する運用が広く行われています。
(3)また、非財産権上の請求もしくは訴額算定がきわめて困難な場合は、
訴額が95万円とされていますが、事物管轄の変更の検討にあたっては、 当然ながら訴額算定不能とされる事件についても、基本として、簡易裁判
所で取り扱うべき事件の範囲から除外すべきです。訴額算定不能な事件と は、訴えの利益を金銭で見積もることが極めて困難な事件であり、金銭的
な解決を求めるものは少なく、むしろ内容的に複雑・困難なものが多く、 より訴訟構造を複雑にし、解決が困難な事件であると言えるからです。
2 少額訴訟手続の訴額の引き上げについて
簡易裁判所において、訴額30万円以下の金銭支払請求事件について、少額訴訟手続を利用することができます。この手続は、原則として第1回口
頭弁論期日において審理が完了し、判決も弁論終結後直ちになされます。
終局判決に対して異議を申し立てることができるものの、控訴はできませ ん。「一般市民が抱える比較的少額の紛争を、訴額に見合った経済的負担
で、簡易迅速に解決するための制度」という趣旨で少額訴訟手続が創設さ れたものです。
書記官は、相談や窓口対応での手続教示から、当事者の第1回期日までの準備の確保、調書判決の作成等にいたるまで、すべての面で手続に深く
関わることになります。それだけに、この制度が市民にとってどれだけ利 用しやすい有効なものとなるのかどうか、今後どの程度活用されるかは、
書記官の手続教示のあり方をはじめ、その運用やそれらを支える人的・物 的体制次第と言っても過言ではありません。また、市民にこの制度が一般
的に周知されることも重要です。手続相談も含めて、当事者に対するてい ねいな対応を実現するためにも、簡裁の人的体制の充実が必要です。またラウンドテーブル法廷や電話会議システム等の物的体制の充実等が求めら
れます。
しかし、少額訴訟の現状は被告欠席の事案が多く、対席による1回結審が可能な事件が少ないこと、また事件増加の影響で被告側に対する裁判所の事前のアプローチが、原告に対するそれに比して少なく不十分であり、
不均衡であるとの声も聞かれるなど、必ずしも当初予定していたとおりの運用が定着してきているとは言えないという声が職場にはあります。
少額訴訟手続の利点を活かしたうえで訴額の上限を引き上げるには、十分な広報(申し立てる側に少額訴訟のための最低限の知識)、ふさわしい
事件の振り分けと、人的物的態勢の充実が必要となります。
3 簡易裁判所の裁判官・裁判所書記官・事務官等職員の大幅増員及び
施設の充実について 現在、全国の簡易裁判所が受理する民事通常事件は年間30万5711 件(平成13年)に及んでいることから、事物管轄の引き上げが150万
円だと地方裁判所の事件のうち約4分の1が、190万円だと地方裁判所 の事件のうち約3分の1の事件が、簡易裁判所に移行すると見込まれます。
しかしながら先に述べたように私たちは、地方裁判所の人員の不足分を調 整し、地方裁判所の「専門裁判所化」と「迅速化」のために簡易裁判所に
事件を移管するという考えには反対します。なぜならば、たび重なる事物 管轄の引き上げおよび調停事件等の増加により、すでに簡易裁判所におい
ては人的にも、また設備等の物的面でもゆとりはありません。地方裁判所 に必要な人員の確保は、あくまでも地方裁判所の増員で対応すべきです。
まず人員の問題では、簡易裁判所においては現在でも、2000年2月に導入された特定調停によって、増加の一途をたどる事件処理に忙殺され
ており、現在の人員をもって事物管轄の変更にあたることは不可能です。
事物管轄の変更に見合って、簡易裁判所で事件を担当する裁判官・書記官、 それを支える司法行政事務を担当する事務官等の大幅な増員が必要です。
次に、簡易裁判所の施設については、次のような点が指摘できます。簡易裁判所の事物管轄および少額訴訟手続きの訴額の上限引き上げに伴い、
法廷の設置や整備が必要となりますが、調停室や待合室等を削減して法廷 を配置するといった場当たり的な対処を行うのではなく、法廷等の増設を
はじめ必要な対応を行うことが重要です。そこには当事者のプライバシー に配慮した待合室の設置や、当事者が利用しやすいスペースやレイアウト
が必要です。また増員に伴う執務室の増設も不可欠であり、当事者や職員 の利用しやすい施設の拡充をはかるべきです。
とりわけ、全国に多数設置されている独立簡易裁判所において、以上の点は大きく問題となります。裁判官不在庁や書記官が1名しか配置されて
いない簡易裁判所もあり、それら独立簡裁への人的手当の必要性があるこ とを十分にふまえておく必要があります。
4 窓口業務の充実
申し立て後の手続きだけではなく、窓口業務の充実も重要となります。
意見書の提起も受けて、簡易裁判所においては、司法書士の訴訟代理権が 制度化されました。将来的な弁護士増員の考え方も示されていることから、
今まで裁判所に持ち込まれていない事件についての申し立ても相当程度増 大することが予想されます。さらに対立当事者の一方となった国民市民は、
とりあえず裁判所に来庁し、相談や手続の説明を求めることも予想されます。
以上のことから、窓口業務・相談業務を十分に担える態勢を裁判所として整備しておくことが必要であり、この点からも人的物的充実が必要とな
ります。なお、他の省庁や地方自治体の一部では、窓口業務が民間委託さ れているケースも見られますが、国民の権利・義務に深く関わる裁判所の
窓口には裁判実務全般に業務に精通した裁判所職員を配置することが必要 です。
5 簡易裁判所職員の配置および研修の充実
簡易裁判所においては、裁判手続に慣れていない当事者が多く来庁します。場合によっては、簡易裁判所における法律的な手続きには不適切なも
のを求める場合もあり、その旨を的確に理解してもらうためには、裁判手 続き全般に精通したうえで、わかりやすく当事者に説明することが求めら
れます。現在、裁判所当局は、任官して間もない若手書記官を簡易裁判所 に配置し、経験を積むにしたがって地裁、高裁と、上級審に配置する傾向
が強く見られますが、こうした配置のあり方を見直し、国民との接点を担う簡易裁判所こそ経験を積んだ書記官を配置することが必要です。あわせ
て、職員に対する研修を充実させるとともに、地方裁判所などと異なった、 応対のあり方等を身につける必要があります。
6 簡易裁判所の大半をしめる立替金等事件を考える上での若干の提言
現在簡易裁判所の民事通常事件のうち立替金・求償金・貸金事件の占める割合は、2001年の新受事件で総数の71.9パーセントになってい
ます。また、2001年の終局事由別割合でいうと欠席判決が全体の 33.3パーセントを占めています。簡易裁判所が、市民の市民による市
民のための裁判所という原点に立ち返ったときに、現状において大半を占 めるこれらの紛争については、単に事件を処理するというだけではなく、
どうして事件が多く発生するのかまでさかのぼって解決の方法を考えてい く必要があります。これらの事件に関する問題を根本的に解決するには、
裁判所をはじめとした司法による努力のみでは到底不可能です。広く市民 もしくは消費者のための金融行政のあり方を見直すとともに、実効性確保
のための立法による解決も視野に入れた検討を進める必要があります。
(1)被告とされた側の「司法アクセスの問題」
現在、立替金・求償金・貸金に関する訴訟は、合意管轄または債権者の 住所地を義務履行地とする管轄のため、大半の訴訟が都市部(とりわけ東
京・大阪・福岡など)の地方裁判所もしくは簡易裁判所に提起されていま す。その結果、多くの消費者は遠隔地の裁判所への出頭を強いられ、出頭
する時間や費用を考えると実質的には応訴の機会が奪われることになりま す。合意管轄や義務履行地管轄による提訴の割合などを調査し、被告側の
実質的な裁判を受ける権利の保障に配慮した移送の要件の緩和等が検討さ れる必要があるのではないかと考えます。
(2)多重債務問題解決のための立法措置ならびに法教育の必要性
日本全体の景気が悪くなる中で、破産者、多重債務者が激増しています。
これらは単に借り手個々人の問題として済ませることはできません。借り る側の姿勢にも問題となるケースも勿論ありますが、その主な原因がクレ
ジット・サラ金、商工ローン業者の「過剰融資」と「高金利」にあると言 われています。消費者信用取引が氾濫する現代社会においては、消費者の
権利として、安全かつ公正な消費者信用取引の制度が保障されなければな りません。そのためには、行政権限による事業者規制だけに頼るのではな
く、消費者金融と販売信用等の信用供与取引全般に共通する、実効性ある 統一的・総合的な消費者信用法の立法措置が必要です。
また、安易に高金利のクレジットに頼らないためにも、消費者としての権利・義務や契約をはじめとする幅広い法教育を、義務教育の段階からと
りいれることなども必要となります。
7 審議内容、立法作業の公開について
現在、すでに進行している法制審議会の審議内容をはじめとする、簡易裁判所の事物管轄および少額訴訟手続の訴額を中心とした司法アクセスに
関する全ての審議内容及び立法作業等については、積極的に国民に情報公開するとともに、広く国民からの意見を聴取し、国民的な論議を行う手続
を保障するべきです。
また、裁判所書記官等の簡易裁判所の実務を担う職員からの意見を聴取し、十分参考にして立法作業にも反映させることが必要です。あわせて、
裁判所で唯一の労働組合である全司法労働組合の意見についても十分に反 映されるような、積極的な措置を求めるものです。 |